クロアチア:07 ここは冷蔵庫ですか?いいえ、プリトヴィチェです。

そして私は青海湖(チベット)を思い起こさせる悪天候&低温の中
プリトヴィチェ湖畔国立公園についたのでした。
とりあえず昼食をいただき、そのあとは恐怖の湖トレッキングを強行となりました。
ぬかりはない!ホカロン前と後ろに張って着れるだけ着たじゃないか!
と思っても寒い。
あと小雨が雨と霧雨の間でなんともびしょ濡れに。
傘をさすと対向の人が危ないとか、そういうこと言う余裕無い。
ツアーの添乗員が
「私日本出る前に言いましたよ?
 雨合羽は上下持ってきてくださいと。」
( ゚д゚)ポカーン・・
その話聞いてない人、ツアーの半数は居ました。
つまり電話時の伝達し忘れと・・・
しかも
客「どこかカッパを買える所はないか」
添乗員「無いです<キッパリ」
といいながらカッパ売ってる店の前を素通り。
これにはもうみんなハズレひいた・・とガックリ顔。
カッパなしでこのあと
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この湖をぐるっと回るコースを2時間は歩いたでしょうか・・・


このボートにのって最初の移動をします。
このボートは一瞬で降りるんだけど、やっぱり雨だと座るところびしょ濡れです。
寒い、床が滑る(木の遊歩道は雨でつるつる)&手すりが無い、
雲が低く垂れ込み景色が綺麗でない、土むき出しの遊歩道はドロドロ
景色を見る余裕も無く、ひたすら早足のガイドを追いかけながら
盗撮のように一瞬カメラを出してはファインダーも液晶も見ずに
ばしばしと写真をとっていきますw






綺麗な風景です。これで暖かくて雨じゃなかったら・゚・(ノД`)・゚・
噂の「定員表示」


上のクロアチア語と下の英語をよーく見てください。
定員=OSOBAって書いてあるんです!
つまりクロアチア語で定員はオソバって言うんです。
クロアチア人スルーガイドにオソバって日本語ではヌードルって意味だよ
って言ったらバカ受けしてたw


こんなところにまで野ネコが。
このあとスリスリされたけど病気貰いたくなかったのでささっと避けました。
バスに戻り、本日の宿泊地シベニクへ!
なんとその距離204km・・がんばって!ドライバーさんっ
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移動途中に見えた巨大な岩のカタマリ。


トンネルでGPSがブツ切り状態に
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シベニク着
シベニクのIVANというホテルに着いて終了。

クロアチア:06 戦後と、復興と、時の止まった町。

9/15
この日はリエカ→プリトヴィチェ→シベニクの日。
ボナビアともお別れです。
8:45集合でプリトヴィチェまでまず174km移動します!
ホテルを出てすぐ、渋滞につかまるバス・・・


こんな可愛い看板を激写するチャンスが出来たからOK!
それにしてもグロアチア人は車の運転が上手です。
今回の渋滞は・・縦列駐車しているところに2重に駐車した車が邪魔で
バスが通れず、
バスを少し下がらせ普通サイズの乗用車はギリギリの所をススーっと通っていきました。
暫くしたら2重駐車の人が帰ってきて「あ、いまどけるよー」と
なんとも拍子抜けにささっと車に乗り込み、どこかへ走り去りました。
それまでクラクションを鳴らしていた車も、すぐに静かに。
クロアチアでは良くあることすぎてお互い様だから
通れるようになればOK!と考えてるんだそうです。おおらかだなー
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こんな景色を眺めながら今日は海岸線を途中まで移動していきます。
クロアチアのこの地方独特の気象現象というのがコレ


見えにくいけどわかりますか?
風で海水が巻き上がっています。
これが起こるために海岸沿いや沿岸の小さな島では陸地で塩害が起きているそうです。
途中GPSが切れてるのが多分ここ。


どっちにいっても5000km~♪スケールが壮大です。
ここのレストランでトイレ休憩。
ここから、内陸に入ります。
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暫く、セルビア人自治区を通ります。
車は止まることなく走り続けました。


車窓に映る風景はどれも戦争で破壊されたと、一目でわかるものばかり。
沿岸部と違ってかなり寒そうでした。(皆秋~冬コートを着用)


教会にも砲弾が打ち込まれたようです。
戦争が終わったのが1995年。
戦争が終わって13年後の世界のはずなのに。
ここだけ時の流れは緩やかなのでした。