シリア・ヨルダン旅行記 15

<12日目>

ダマスカス市内観光

パウロが落馬したところに立てたコーカブ教会。

キリスト教徒のおじいちゃんが守衛さんやってました。
見てのとおり、かなり新しい建物。

スケールは小さめだけど素敵な祭壇があります。

ストレート通り

聖書に出てくるストレート通り、ちょっと曲がってるのは・・気にしない!
パウロさんとアナニアさんの話です。興味があったら調べてみてください。

聖アナニアス教会

妙に近代的な建物なのが上に出てきたアナニアさんの教会です。
教会本体は地下で

薄暗い洞窟風。

十字軍にも使われたエルサレム十字を使っています。
聖パウロ教会、ここは外観のみ。

門のようないでたち。

ここで観光はおしまいです。
最後に街で見かけた変な物シリーズをお届けします(‘ω’)ノ


ドアの内側にどう見ても木の板が貼ってあるオート三輪(しかもかなり年代もの)


焼き鳥の串のようなものに、何かの結晶。
なんと、砂糖を結晶化させてるんだそうです・・市場で売ってますが
強度的に日本に持ち帰るのは難しい予感がします。


中東エリアおなじみ、ボンベ直結!
ヤカンでお湯沸かしたり、ランチの何かをフライパンで温めたりしてます。


私が一番びっくりしたもの。エア駐輪。
完全に道路から浮いてます。その距離20-30cm。
わざわざ突起があるし、駐輪用にその高さにバーをつけたんですよね・・?

その後の旅行データ
ダマスカス発16:50EK914便でドバイ乗り継ぎ
ドバイ着21:40
<13日目>
ドバイ発03:30 EK316で関西国際空港へ。
関空で羽田に乗り継いで羽田着19:55
お疲れ様でした★

シリア・ヨルダン旅行記 14

<11日目>
ラタキアより

プライベートビーチ付きのホテル、でもなぜか良く見ると・・

ビーチにはデーツがいっぱい付いたナツメヤシが・・
黄色い実と赤い実がありました。
赤のほうが熟してるのかな。


海沿いに走っていくと何故かビニールハウスが沢山。

トラックの荷台にはオレンジ満載!

道端で売っているのもオレンジ。オレンジの産地なんでしょうか。

内陸と地中海を結ぶ道上にあるのがクラックデシュバリエ!
緑の大地に、白く輝くような要塞です。

1031年にアレッポ城主が作りましたが、1099年第一回十字軍遠征で落城>放棄>1110年最落城>1144年より聖ヨハネ騎士団に移譲
その後1273年にうっかり落城するまで十字軍が所有していました。
ご近所の騎士団の要塞とあわせて、このエリアでは重要な十字軍の拠点でした。

いかにも要塞!という通路の作りです。


馬用厩舎。天井には通気口、壁には馬を繋ぐ為の穴がありました。


要塞の内側。中庭があり更に建物。堀があった場所に立って撮影してます。


妙にこの城だけ綺麗だな、と思いませんか?
十字軍つながりでフランスが修復しているそうです。

屋上へ続く階段。見張り台へ行ってみましょう。

この城をラピュタのようだ、という人もいるそうですが、個人的には全然似て無いし
共通点も無いし???という感じでした。
高いところにある城なのでまるで城が飛んでいるよう・・という感じがするのかな・・?

最後は、ダマスカスのヒジャーズ駅。

メッカとダマスカスを繋いでいたヒジャーズ鉄道の駅です。
駅舎しかなく、完全に観光地です。

中はこんな感じです。本棚があるのは、今は本屋さん状態だから。とのこと。
木をふんだんに使った駅舎は、昔の日本の明治時代の建物に似た感じがします。

ダマスカス着で11日目は終了です。

シリア・ヨルダン旅行記 13

<10日目>

アレッポを出発してエブラ遺跡へ。
現在は畑として使われていて、「耕すと妙に土器の破片とか出てくるんだよねー」と思われていたこの場所。
正直に言うとなだらかな丘です。
紀元前3000年頃と紀元前1800-1600年頃に栄えた都市国家があったところ。

この文書庫という区画から沢山の楔形文字の粘土板が出ました。

土器ごろごろ。
今は発掘の時期ではないそうなので、発掘作業が行われてません。
なのにバケツに入れて放置してあるこのおおらかさ・・?


移動中の一家を追い越しながらサラディーン城に移動します。

アラブの英雄の城壁といわれ、10世紀~12世紀頃の特徴がある要塞です。
貯水槽がほぼ原型をとどめていたり、外から見える部分はかなり綺麗に残っていますが、

残念ながら殆どの場所は崩れ落ちたままです。

次に寄ったのはウガリット遺跡。

アルファベットの起源といわれるウガリット文字が発見されたウガリット遺跡・・なんですが
今はまだ殆ど修復されず、なだらかな丘の上に遺跡の石がごろごろと転がるだけです。
紀元前6000年には既に周囲に注目される場所になっていて、紀元前1200年頃に海の民の侵略を受け破壊されました。
海沿いでエジプトやキプロスとも交流があった国家でした。


唯一きちんと残っているのはこの門。宮殿の入り口です。
王様専用ゲートだそうですが、その割にはこじんまりとしているような・・・?
王様以外はこの近くにあった門から出入りしていたとか。

遺跡が17時に閉まっちゃうので駆け足で見学してラタキアへ移動、10日目終了です。