シリア・ヨルダン旅行記 11

<8日目>
一日パルミラ尽くし!

ベル神殿

他にもこんな都市構造が残ってる


レリーフも結構多くて、これは人のレリーフ

こっちはかつてベル神殿の門をくぐる時、上を見上げたら見えたはずの所。
神殿の玄関口なので気合入れて作ったはずの所というわけです。
今は落ちてしまい地面に置かれてます。
しゃがんで覗き込まないと見られないので見るだけでも苦労しますw


ベル神殿の中。
外から見てたほどは広くないような・・・そんな感じの広さです。


かろうじて残っている神殿の両端にある祭壇の上に残ったレリーフ。
円の中心は男性が描かれてたはず。
黒いのはススで、ここに住み着いた後世の人(っていうか割と最近の人々)が
ここを台所にして火をたいていたために付いた物だそうです。


唐草模様。この模様はこの辺が発祥でシルクロード経由で日本まで来たと思うと胸が熱くなります。
ただ単に私が唐草柄マニアなだけなんですけどね!


パルミラの語源になった、ナツメヤシが一杯。
ギリシャ語でナツメヤシの事をパルマというのでギリシャ人やローマ人にパルミラと呼ばれたそうです。
それ以前はタドモルって名前だったようです。


観光のためとはいえ、遺跡のほんと真横に道路を作ってしまった。
振動で悪影響が出ないといいんですが・・

次は墓の谷にあるエラベルの墓に移動です。

崩れちゃった墓と、奥の方で現存してる(けど立ち入れない)墓。

エラベルさんちはこれです。

1Fはこんな感じ。正面には一族のレリーフ。
今で言う写真代わりにレリーフを描いたそうです。賢いです。

その側面は、なにやらシステマティックな収納棚。
これが一緒にお墓に入る人達の為の共同スペース。
1スライドに一人が入るようになってたそうです。
だれでもこんな立派なお墓を立てられるわけではなかったので、
エラベルさん家以外の人もこのお墓に入れたとか。

正面以外に天井にもレリーフがあります。


3階まであるうちの、2階。窓が極端に小さく薄暗く、ハトの糞が舞う墓の中。
床に打ち捨てられた像が・・・
あ、ハトの糞は結構凄いのでお墓に入る前にマスクすることをお勧めします。


3階はなんとオープンエア。・・・ではなくて天井が壊れて落ちたそうです。
この階の天井が無かったせいでハトの巣になってたわけなんです。

お次は地下式の三兄弟の墓

まさしく地下1階という感じの見た目。

入り口の細工は結構細かく、
すっごく重い扉と対称的で印象に残りました。
それなのに扉の写真撮り忘れた。
(扉自体は非常にシンプル。
厚みが10cm以上あって非常に重たいのですが、管理人が鍵開けて人力で押します・・)


周囲はこんな感じ。
こんな所に本当にあるの・・?という感じ。
(実際工事の為に掘ったら墓地に当たるケースも多いのだとか・・)


タイボールの墓の入り口はなんだか憎めない顔。

通常タイプの入り口のプレート。


最も華麗な地下墓 ポルハ・ボルパの墓は中の写真がない・・
奈良県が修復を手伝ったそうで入り口の説明プレートが他所とは違います。


移動中に見たナツメヤシの実”デーツ”を干しているの図。


パルミラ博物館。ライオンがインパラを守っていますというレリーフ。
守ってるから安心して暮らせるんだよ、っていうアピールだったそうですよ。
このままガブっと行きそうに見えるけど・・・

お昼

ヤギ一頭を使ったおもてなし。
もちろん、おいしそう!というべき・・・です。
ヤギピラフは美味しかったです。
小分けするときには頭部は盛られないのでご安心をw


ご飯が終わって出てきたら、妙に目地からのあるバイクと遭遇。


再びパルミラ遺跡へ
列柱にある変な突起は像置き場。
ラクダに乗った人から見るとちょうどいい高さにあった。


四面門とアラブ城。
二つの街道が交差する場所にあるのが四面門。大きな柱が4つ。
4つの柱はまとめて大きな台の上に立っていて、
さながら横断歩道の中島。


劇場はあるけど結構小さい。復元された物だけどどこまで正確な復元なのかは??という感じ。
ちょっと現代的な所もあったりで・・・
すっごい平たい劇場です。高低差殆どない。


アゴラ跡だったはず。壁とほんのちょっとの柱が現存。
小さい窓毎に部署が構えられてたそうです。


アグリボルの神殿だっけ?月の神様だったと思います。
中にたまたま木が生えちゃったけどまだ切ってないそうです。
というか気にしてないそうです。遺跡が壊れなければいいけど・・w

夕方アラブ城から夕日に染まるパルミラ遺跡を見学

さっき遠くに見えてたアラブ城。ちょっと離れた丘の上にあります。
6世紀に立てられたこの城は、イスラム教徒により砦として建てられ
この城が建ったことでこの地がイスラム圏に入ったんだそうです。
今でも立派なのはイスラム系施設だから(=修復する予算がつきやすい)っていうことです。
遺跡の修復具合と見比べると一目瞭然です。


モヤァァァっとしてますがこれは砂漠の塵です・・
朝は霧が掛かったりするけど夕方のこれは間違いなく塵。
こうやって見ると緑を背負ったパルミラの遺跡は砂漠を越えてきた商隊にとって素敵な土地に見えたんだろうな・・


遺跡から「なんであんな所に電波塔建てたし」と総ツッコミを受けていた
アラブ城の隣の山に新しくできた電波塔。
丁度日が落ちるところだったので撮ってみました。


夜のパルミラ。ライトアップされてます。
アラブ城のライトアップは結構遅くまでやってるのがホテルから見えました。
っていうか朝になってもライトついてた。消し忘れかな?

シリア・ヨルダン旅行記 10

<7日目>

ホテルのサロン。
ガラスの天井は砂漠地帯において
「綺麗な状態を保つためには定期清掃が必要な物=維持管理費のかかるぜいたく品」に分類されるのだとか。

ダマスカスの市内観光。
国立博物館

入り口にあるこの綺麗なモザイクの門は実際に遺跡にあったものを移築。


移動中に見た「これぞ中東!!」ってイメージの路線バス。(長距離バスかも?)


バスで通りかかった裁判所前。多くの人が出入りしててフランクな雰囲気・・・


通りすがりのケバブ店。
焼かれたお肉の左にはまだ焼いてないお姿で吊ってあります。
このお肉を見て「美味しそう」っていえたら通。


ウマイヤド・モスクに行くためにはこのアーケードを通っていきます。
天井がちょっとづつ破けてるところがなんとも凄い・・ハトのフンで銅版が腐食したために起きてるみたい。


なんとも斬新なわたあめ売り。
担ぐ棒に斜めにわたあめを差し込んで大量に持ち運べるようにしてます。


アーケードが切れると別の遺跡越しにウマイヤド・モスクの塔が見えます。


横を見るとよくあるザクロジュースの屋台が。おばちゃんが買ってます。

ウマイヤド・モスク外観

ウマイヤド・モスクの内側から見たところ。

床の石は皆が素足で歩けるようつるっつる。


ウマイヤド・モスクの中、緑色の小さな廟は

洗礼者ヨハネのお墓。
サロメ嬢に「うまく踊れたらあいつの首が欲しい☆」なんて言われちゃった方のヨハネさんです。
イスラム教のお墓の中にキリスト教の人のお墓おいていいの?と身も蓋もない質問をしたところ
「洗礼者ヨハネもまた預言者として敬われる存在だからだよ~」
と的確なお返事を貰いました。ナルホド。
(キリスト教もイスラム教も’預言者’の存在って大きい気がする。)

サラディーンの霊廟

こじんまりとした1つの建物。中はお墓のみ!というシンプルなもの。
内装は豪勢です。

アゼム宮殿

アゼムさんによって建てられた宮殿。
宮殿というには小さく、「大豪邸」クラスの建物。

庭にカリンのような植物が植わってた。


バザール近くにあった英雄像・・・由来忘れちゃった


街を歩いているとこんな路上の物売りを良く見ます。
売ってる物はティッシュ、甘いおやつ・ナッツが多かったかも。

マルーラ村にある聖サルキス教会と聖テクラ教会へ

マルーラ村は西アラム語という言語の話者がいます。
アラム語とはイエス・キリストが喋っていた言葉のこと。
今ではアラム語を話せる人がかなり少なくなっているそうです。

聖サルキス教会は内部撮影が禁止なので門のところでこんな写真を撮ったっきりです・・
4世紀に’アポロ神殿のあった場所にキリスト教を捨てなかったために殉教したサルキスさんの為に作った’教会、だったかな。
「世界最古のキリスト教の教会(といわれている物の1つ)」だそうです。
売店にて「アラム語の教科書」をゲット。世界でここにしかない貴重な教科書です。
と言っても英語とアラム語で書かれているようなので語学マニア向けの物であることは確かw

聖テクラ教会

入ってからずっと階段と言っても過言ではないこの教会(修道院)。

この断崖にある箱のような所が教会の一番奥の部屋になってます。
中は洞窟みたいで、外側は補強の為にレンガがつんであるみたいでした。
この教会、聖テクラさんの為にできた教会なんですが、
「貴婦人聖テクラさんがパウロの弟子になったら(キリスト教に改宗したら)お父さんが怒って追手の兵士を差し向けてきた。
逃げるために祈ったら山が真っ二つに割れたのでそこから逃げられました。ラッキー☆」(諸説あり)
だから街の名前もマアルーラ(マアラ=アラム語で「入口」)って言うのよ、と教えてもらいました。

装飾のついた銅の扉。


マアルーラの街。狭い谷に家が密集しています。

シリア砂漠のど真ん中、パルミラへ!

トイレ休憩で寄ったバクダッドカフェ。
何かの毛皮の裏側に地図が書いてありました

シリア・ヨルダン旅行記 9

<6日目 後編>

考古学博物館のあと、ジェラシュへ。

車窓に見慣れたロゴが。
・・・・あれ本当に本物のダ○ソー・・・?

移動中に見かけた駐ラクダ場。

ジェラシュのローマ遺跡。

道路のすぐそばにあるこの大きな遺跡は競馬場跡があったり


大きな広場、

列柱があったはずの街道、街道沿いの神殿

そして有名なグラグラ柱の神殿跡。

ここではおじさんがチャイを売ってましたw

不思議な形のヤカン使ってた。

中心に焼けた燃料を入れて、その外側に水を入れて沸かすそうです。

グラグラをすでにはさんであるスプーンで再現

右側に移ってるガイドさんが人力でぐいーっと押すと

はさんであるスプーンがゆーらゆらと動きます。

なだらかに見えて意外とアップダウンの多い丘の上に残る、多くの列柱

小さいながらローマ式劇場もある。

お昼ごはんの後、(積んであるカラフルなザルは焼きあがったパンを給仕に渡すときに使ってるもの)

陸路で国境越えをし、シリアへ!

奥に見えるゲートがシリア側の入国ゲート

ボスラのローマ劇場跡。

ジェラシュと比べるとこっちは劇場が物凄く立派。舞台の後ろの壁も綺麗に残ってます。

街の方はこんなかんじ。

人が住み着いちゃって遺跡の発掘も中途半端。

それぞれ違う年代の柱が残ってる建物、右の方は人が住んでるので扉だったところを強引にふさいでます。

遺跡を順路どおりにめぐるなら、この石を踏み台にして上がっていかないと・・・
この石、柱だったやつですよね・・?


遺跡の中で地元の人が売ってたキリスト教モチーフのお皿。
ダマスカスに移動して6日目は終了です。